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「自分の気持ちとか感情を生々しく演じると面白くなると思います」
―― 塚本連平監督インタビュー

自身が監督・脚本を担当した『今日も嫌がらせ弁当』が6月28日に公開される、塚本連平監督に、監督になったきかっけや演技のこと、そして『今日も嫌がらせ弁当』について聞いた。
(取材・構成:大作昌寿、森内淳)




―― まず映画監督を目指そうと思ったきっかけを教えてください。

塚本連平 小学校の5年から6年にかけて岐阜県の田舎の街に住んでいたんですけど、車で20分くらい行ったところに映画館が2軒あって、兄ちゃんに連れられて、洋画を初めて観たんですね。その頃は、映画と言えば、ほとんどテレビで見ていて、映画館で見る機会がなかったんです。「映画館で大人の映画を見る」みたいなことが妙に面白くて。そこからハマってったって感じです。

―― 監督になろうと思ったのはいつ頃なんですか?

塚本 当時、テレビの映画番組は淀川長治さんとか荻 昌弘さんとか、必ず解説者がいたんです。だから、一旦は映画評論家になりたいと考えました。それで、映画が好きになっていくと、今度は映画のスタッフに興味が湧いてきたんですよ。特に監督ですね。「この映画は誰が撮ってるんだろう?」とか「誰が撮影してるんだろう?」とか。そんなことが気になって、知らないうちに監督になりたいと思ってましたね。

―― じゃもう子供の頃からずっと監督志望だったんですね?

  塚本 中学2年生か3年生の時に、進路指導の先生に「将来、何したい?」と言われて「映画監督になりたい」と言って笑われてました。他にやりたいことが特に何もなかったし、スポーツも全然っていうぐらいできなかったし。できなかっただけでなく、興味なかったし。その笑った先生とも今も仲良いんですけど(笑)。ただ、それで何か映画作りを始めるとか、映画監督になるために何かをやろうという動きはしなかったんですよね。自主映画作るとか、脚本を書くとか、そういうこと一切何もしてなかったので、ただぼんやりとそういうふうに思ってただけですけどね。

―― 実際に映画を作ったのはいつくらいになるんですか?

塚本 日大芸術の映画学科に入りまして、その時に初めて課題で映画を作りました。ただそれもそんなに熱心に作ってなかったですね。僕らの頃でいうと、ちょうど石井聰互さんとか大森一樹さんとか、学生で映画を撮る人たちがたくさん出てきていて。僕の同期にも自主映画を撮った学生がいたりしたんですけど、僕はあんまり撮ってなかったんですよ。3年生と4年生の時に「劇映画を作る」という課題があって、ちゃんと撮ったのはそれだけです。いろんなことに積極的じゃなかったです。ぼんやりと監督になりたいなと思ってただけで。その頃でいうと、1980年代って、日本映画があまり商売になってる時代じゃなかったんですよ。映画会社に入って監督になるっていう道がまずなかったし、日本映画自体があんまり盛り上がっていなかった。角川映画くらいですかね。角川映画と寅さんくらいかな。他はあまり人が入ってる映画がなかったので、映画監督で食っていくということがあまり現実的ではなかった。映画監督になるということ自体がひじょうにぼんやりしていたような気がします。で、一応、制作会社入ったんですけど、それはテレビの制作会社で、派遣みたいなことをやってました。派遣で助監督をやったり制作をやったり。なんでもやってましたね。

―― そこでどうして映画じゃなくてテレビの制作会社だったんですか?

塚本 まず映画関係の募集がなかったということですかね。映画関係の募集は全くなかったんじゃないですかね。あっても本当に学術映画みたいな、科学映画みたいな、そっちの方の募集があったぐらいでしたね。

―― ドラマを撮ろうと思ったら、テレビの道しかなかったわけですね?

塚本 そうですね、他に何をやってもやりたいことがなかったし、なんとなく似たような世界を選んで。大きい所も受けましたけどね、NHKとか。でも全然、箸にも棒にもかからない。とはいえ、CM会社の面接は遅刻して行ったし、NHKの面接は「NHKはあまり好きじゃない」とか生意気なこと言って。そんなの受け入れてくれませんよね、当然。唯一受け入れてくれたのが、面接だけあって試験とかもなく、制作会社というか派遣会社みたいなところで。ちっちゃい会社で、最初の3ヶ月は3万円くらいだったかな、見習い期間があって。それ越えると、7万、8万になって、あとは実績。そういう会社に入って。

―― テレビドラマの演出を初めてやるのまで何年くらいかかったんですか?

塚本 10年くらいですかね。23歳ぐらいで入って、33か4くらいで撮らせてもらった。

―― ドラマを撮りたいというアピールはしてたんですか?

塚本 あんまり積極的ではなかったですね。テレビのドラマは好きじゃなくて、2年か3年くらいやってたんですけど、まぁやりたくなくて。外国に行くといって辞めて。会社辞めるのにちょうどいい理由なんですよ、外国に行きたいというのは。ただ、言った以上行かなきゃいけない。バイトしてお金貯めて海外に行って、特に何か学んだわけでもなく帰ってきて。何もできることがないので、同じ仕事にフリーという形で入ってしばらくした時にMMJ(メディアミックス・ジャパン)が立ち上がって、そこに人を欲しがってるという話になったんです。

―― それでMMJに入るんですね?

塚本 最初はフリーで入って。助監督が嫌だったので、AP(アシスタント・プロデューサー)でついて。そんなことをしてたら脚本家の岡田惠和さんと親しくなったんです。岡田さんと映画の話をしてたら、なんか気に入ってくれて。「次に脚本を書く時には監督にしてあげる」と言っていただき、それでドラマの監督をさせていただいたんです。

―― 映画には関わっていたんですか?

塚本 APやプロデューサーをやりながらテレビドラマの予告編を作ってました。今は専門職の人が作るんですけど、その頃はやる人間がいなくて。昔は予告ってけっこう適当だったんですよ。「ドラマの内容が伝えられたらOK」みたいな。ところが段々と予告が重視されてきて、片手間じゃできなくなってきたんですよ。自分で言うのもなんですけど、僕が作った予告、けっこう面白かったんです。凝ってて。燃えた藁人形を撮って繋いだりして、けっこう面白がられて。そんなことからやらせてもらえてましたね。ただ、当時はテレビが主で、映画はあまりなかったんです。それで映画をやりたくて、僕の妹の旦那の従兄弟が徳間のプロデューサーをやってたので、そこの人に紹介してもらったりしてましたね。

―― 最初は『着信アリ2』を撮られてますよね?

塚本 その徳間の人たちが、当時の角川にごそっと移ったんです。ちょうどそのころホラーブームで、彼らは『着信アリ』という映画を作ってたんですけど、公開前にけっこう前売りが出てるから『2』を作るという話になって。ホラーを撮ったことなかったんですけど、ホラーも好きで、ホラーの話をその人たちとしてたんですよ。そしたら「監督候補で名前を出していい?」って言われて。「ぜひぜひ」と。「監督候補は何人かいる」という話だったんだけど、「ぜひやりたい」と。きっとホラー映画ブームだったんで、名だたる監督はきっと忙しかったと思うんです。想像するに、清水(崇)さん、鶴田(法男)さん、中田(秀夫)さんとか、たぶん、みんなめちゃめちゃ忙しかったと思うんです。僕は、映画の経験なくて、ただホラーが好きというだけの人間だったんですが、どういうわけか、僕に話が決まり、それを機に映画をやれるようになりました。その後、順調に映画の話が来るとかそういうわけでもなく、まぁポツポツとなんですけど。その時はまだMMJにいたんですけど、MMJとは話し合って、それを機にちょっと違う契約をしてもらい、そこからしばらくして独立して、今はフリーでやってます。

―― テレビと映画とではやり方が違ったりするんですか?

塚本 自分自身のやることは全然変わらないですね。モチベーションも変わらないですし。やり方もあまり変わらない。ただ『着信アリ2』の時はフィルムだったんですね。僕はフィルムでやれるというのがとても嬉しくて。あの頃はデジタルでビデオ撮りというのはまだまだ少なかったんで。ところがフィルムをずっとやってるスタッフたちと段々と溝ができたんです。やがて溝が深くなり、途中でプロデューサーが「このままでは反乱が起きる」と。

―― 何が原因だったんですか?

塚本 カットを撮る速度もそうですけど、カット数に関する考え方が違ってて。最初のうちは仲良くやってたんですけど、3分の1くらいやった時に、セットに入ったんです。その途端に速度が落ちて。セットになるといくらでも時間がかけられるので、1日で10カットくらいになって。「これはまずい」と。「カットを減らしてくれ」「シーンを削ってくれ」「それは本末転倒だ」……テレビでも映画でも早め早めにプランを立てて、その通りにやれば、別にどこでも溝はできないでしょうけど。ギリギリになって違うことを言ったりすることが絶対にあるから、そうなりますよね。ちゃんとプランがあって、それに対してきっちりやっていくっていうような作業にはあんまり興味がないんですよ。現場で色々作っていくというか。ちゃんとしたものを作ろうとは思うんですけど、収まりがいいものを作ろうとは思わないので。現場でいっぱいアドリブをした方が良いということではないですけど、現場で生まれたものをライブ的に、ライブ感をもって、活き活きと取り入れてくっていうことが好きですね。だからどこか映画からはみ出たものというか、映画らしくない映画みたいな部分があったりするんです。

―― その感覚はどこからやって来たんでしょうか?

塚本 例えばテレビでもテレビドラマらしい端正できちっとしたものはできないですし、目指してもいませんでした。テレビドラマでも、テレビドラマのようでテレビドラマじゃない境界線みたいなものを楽しむ、というか。昔のドラマって、そんなドラマがたくさんあったんです。久世(光彦)さんのドラマとか。例えば『時間ですよ』もドラマだけどドラマじゃない。だけど、ちゃんとドラマになっている。意識しているわけじゃないですけど、そういう作業が好きです。そういう余地がいっぱいある方が、結果、自分の好きな、自分の面白いと思うものができると思っています。テレビでも映画でも、テレビらしいもの、映画らしいものから全然外れても構わないと思ってるんです。そんなことをやってるものだから、突然、現場で違うことを言い出して、「こんなに準備を進めていたのに」って、スタッフたちを怒らせてしまう。そういうことが割とあるかな。そこはちょっと反省してます。同じことを言うにしても、口の使い方、僕の言い方ひとつで何とかなりますからね。やはりちょっとどこか人と上手く調和ができないところがあるのかな、と思います。一字一句シナリオ通りに撮らなきゃいけないものを任されたらどうなっちゃうんだろうな、と(笑)。

―― 役者さんでもドラマは変わっていきますよね?

塚本 演じる人によってもドラマは変わってきます。同じ役でも、役所広司さんがやるのと佐藤二朗さんがやるのでは変わってくる。同じ背景、同じ狙いの人間を作ろうとしても、絶対同じにならない。それだから面白い。演じる人によって脚本が豊かになったり、自分が作っているものが豊かになったりするので、演じる人の力ってとっても大きいんです。そこを封じこめちゃうようなやり方は自分にとって損だな、と思って。最初からキャラクターを規定して「こうしてください」って言えば、役者さんはやってくれるかもしれないけど、それでは楽しくできなくなっちゃうので、最初から限定はしないんです。

―― 監督が考える俳優の資質とはなんですか?

塚本 最初は何もできない役者さんもけっこういますけど、やり続けることによって、いつの間にか、すごく面白い役者さんに変わってる時もあるし、僕と仕事をしていないうちに、別の場所でいつの間にか面白い役者さんになった人もいるし。自分がやってる現場の中で、こんなに良い芝居ができるんだって奇跡的な瞬間に立ち会うこともあったりするんで、資質って実はよくわからないんですね。あんなに棒だった子が、こんなに感情豊かにできるようになるんだって思うこともあるんで。頑張ったりしてれば、いつかとんでもない面白い人になったりする可能性はあります。

―― 例えば、どういう学び方をすればいいというのはありますか?

塚本 いろんなところで学ぶことも必要でしょうし、いろんな別の人の演技に触れることもそうでしょうし、それはもう映画を見たり、演劇を見たりすることもそうですし、本を読むことでもそうですし、いろんな感情を知る、いろんなキャラクターを知るということが大事だと思います。上手い役者さんというのは、同時に面白いですね。「笑いに対する面白味」みたいなセンスがある人がとても多いです。学ぶ人は「自分にとっての面白味は何だろう?」と考えながら、どんどんいろんなものに触れていく。それは笑いという意味だけでなく「こんなに悲しい気持ちにさせるのは何なんだろう?」とか「こんなに怒らせる気持ちは何なんだろう?」……自分の気持ちが動くもの、自分の興味ある感情に対して、自分をどんどん突き詰めていくというか。そういうことが自分なりの感覚を磨くということなのかな、というふうに思います。

―― 俳優を目指してるなら、この映画を見ておいた方がいいぞ、みたいな作品はありますか?

塚本 ふと思いついたのが、ブルドーザーが人を襲う『殺人ブルドーザー』とか、そんな映画を人に勧めたくなっちゃうんですけど。それはやっぱり演技とは関係ないので(笑)、演技で言うと、パッと思いついたは、だいぶ前なんですけど『チョコレートドーナツ』という映画ですね。

―― 2012年のアメリカ映画ですね。舞台は1970年代のブルックリンです。

塚本 ダウン症の子の親がひどい親で、麻薬中毒なっていて、その子を外にほっぽり出しては、ドラッグ欲しさに男を連れ込んで売春をしてるんですけど、それを見ていられなくなったゲイのカップルが、その子を自分たちの養子にしようとする話ですね。プロの俳優さんが演じる中で、本当にダウン症の子が男の子を演じているんです。プロの俳優さんと役者じゃない子どもの演技を組み合わせたところが、とても演技の勉強になるというか、参考になるんじゃないかな、と思います。同じような映画で『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』っていう映画があります。

―― ディズニー・ワールドの近くにある安モーテルを舞台にした人間ドラマですね。2017年の作品です。

塚本 これもひじょうに劣悪な環境にいる子どもが主人公なんですけど、子どもたちも大人もプロの俳優さんじゃない人に芝居をさせているんです。そこにプロの役者たちが混じって演技をやっているんですね。どこまでがプロで、どこまでが素人かさっぱりわからないという、とても生々しい芝居ができていて、これはとても演技の参考になると思います。「生々しくて面白い」っていう言葉をあえて使いますけど、それが「芝居じみた芝居」であろうが、自分の気持ちとか感情を生々しく演じると面白くなるということだと思います。ドキュメンタリータッチであるとか、素人がやってるとかではなく、どれだけ生々しく感情を動かして、それをちゃんと映画が切り取って残していくかということですね。

―― 先ほど言われた「ライブ感」みたいなのと繋がってきますね。

塚本 はい。今回の『今日も嫌がらせ弁当』もあんまりテストもしなくて、いきなり本番とかそういうこともしてましたし。

―― クリント・イーストウッド監督が『15時17分、パリ行き』で、実際に事件の当事者に演技をやってもらいましたが、ああいうアプローチをやってみたいと思いますか?

塚本 やってみたいとは思いますが、実際の方に出てもらうっていうのは、やる題材にもよるでしょうけど、ドキュメンタリー自体は中々難しくて、踏み込みづらいんです。そこまで踏み込まないもの、当事者があまり傷つかないものだったらやってみたいですけど。ちょっと僕には中々できないですね。

―― 6月28日には塚本監督の最新作『今日も嫌がらせ弁当』が公開されます。企画の立ち上げから監督が関わっていたという話を聞きました。

塚本 『今日も嫌がらせ弁当』というブログが本になって出版されたんです。テレビにも取り上げられて話題になってたんですが、それからちょっと遅れて、僕は本屋で立ち読みしたんですよ。「きっと映画化は決まってるんだろうな」と思いながら、2ページくらい立ち読みしたところで声に出して笑っちゃって。中々そんな経験ないんで、是非、映画をやりたいと思って訊いてみたら「いろんなところから映画化の話があるので1ヶ月くらい先にプロットのコンペをしようと思う」ということだったんです。しかも原作者がプロットを読んで決めるという、なかなか無い話で。それでプロットを書いて提出したんですが、普通、個人には話題になった本の映画化権はこないんですよ。ところが僕のプロットを気に入ってくださって、映画化することができたんです。

―― 今回は親子が題材の作品です。

塚本 親子ものという題材は映画にはあんまりないんですよね。とくに母と娘というのは本当にないですよね。だいぶ昔の日本映画には母を題材にした作品がありましたけど、外国でもあんまりなくて。シナリオを作る時に、参考になるものがないかなって探してみたんですけど、あんまりないですね。思春期の娘が登場するんですけど、思春期の娘なんてさっぱりわからない。

―― それを撮ろうと思ったのはどうしてですか?

塚本 ちょうど原作を立ち読みした頃、僕にもちっちゃい娘がいて、ちょうど下の娘が生まれたか、お腹にいる時で、妻も大変だったので、簡単なお弁当や食事を僕が作ってたりしてたんで、とてもなんか共感できたというのはありますね。反抗期じゃないけど、小さな子どもにはイヤイヤ期があるので。原作の家族のお姉ちゃんと妹っていう家族構成も似ていたので、とてもやりたい、すごくやりたい、と。真面目なだけの作品って、あまりやったことないんですけど、真面目な話なんだけど、くだらない。くだらないとか言っちゃいけないですけど(笑)、面白いというか、良い意味でくだらないというか、楽しい要素がいっぱいあるのは大好きなので。「しょーもなー」とか「くだらねー」って、良い意味で言ってもらいながら、知らないうちになんかじんわりきちゃう。そういうものがやりたくてしょうがなかったんですね。まさにそれにうってつけの原作で。だから、絶対にやりたかったんです。

―― 良い意味でのくだらなさは監督の映画のキーにもなっているような気がします。

塚本 くだらない映画も大好きだから、くだらないことが大好きなんですけど、そんなこととまともなものが合体してるみたいなものが好きですね。たしかに、いろんなエンターテインメントがあるし、考えさせられるのもエンターテインメントだし、嫌な気持ちにさせたりするのもエンターテインメントのひとつだとは思うんですけど、僕はやっぱり楽しい方が好きです。自分が見る分には、とても嫌な気持ちになって落ち込んで考えさせるの映画も好きなんですけど、自分が作る映画は「あー楽しかった。明日も元気に学校行こう」とかそんな気持ちになってもらう方がいいですね。

―― この映画は、反抗期に突入して、何を聞いても返事すらしない娘への逆襲にと、母親が娘の嫌がる「キャラ弁」を作り続けるという話なんですが、お互い真剣だから滑稽だという。

塚本 よくやったな、と思いますよね、このお母さん。

―― 映画に出てくるお弁当のアイディアはブログを元にしてあるんですか?

塚本 かなり反映してます。たぶん8割以上は反映していると思います。それもかなり忠実に。ちょっとアレンジしたり、映画ならではのオリジナルの弁当も作ってはいますけど、それでも原作のタッチは活かしてますね。絶対にオリジナルで作ったんじゃないとバレないような形で作っています。試作品は100個以上作ったんじゃないですかね。原作の方も、本当になんでも作ってて。ネタが尽きちゃうから、目に入ったものなんでも弁当化したという。そういうのが面白くて。これが本当に最初から愛情たっぷりのお弁当で、「キャラ弁を作るのは良いことだ」みたいな話だったら、映画化するつもりもなかったんですけど、嫌がらせであんな凝ったことをやるのはすごく良いな、と。でも、それがすごく愛情になっているという。

―― 映画化はすぐに動き出したんですか?

塚本 僕が原作権をずっと持っていても動かないんで、同じようにこの企画をやりたいと手を挙げていた関西テレビさんと一緒にやりましょうということになりました。

―― 脚本も塚本監督がやられていますよね?

塚本 共同での脚本というのは何回かあるんですけど、自分ひとりで脚本を書くのは初めてだったんですけど、長いプロット書いたので、まず1稿目は自分で書かせてほしいってことで書きました。ところが、中々そう簡単には行かなくて、脚本作りにはだいぶ時間がかかりましたね。本当に撮影のギリギリまで作ってました。

―― キャストのイメージはあったんですか?

塚本 最初から篠原(涼子)さんに主演をやって欲しいと思ってたんですけど、篠原さんに見せられるような脚本を作るのに、1年半かかって。それでもまだちょっとどうかな? と思いながら、見ていただいて。そしたら、面白がっていただいて。そこからちゃんとした脚本にするべく、更に進めていって、結局1年以上かかりましたね。なんとか自分で精一杯の脚本ができて。いろいろ言い出したら、キリがないですけど、自分の精一杯の、できるだけのことはできたかな、と思います。本屋で原作を立ち読みをしてから、3年くらいして撮影が始まりました。

―― 八丈島で撮影をしたんですよね?

塚本 八丈島では2週間ちょっとですかね。撮影はトータルで1ヶ月くらいですね。八丈島は楽しかったですね。ただ機材の運搬は大変でした。八丈島に持ってけるものもやっぱり限られちゃうので、ナイターがあんまり出来ないだとか、撮影機材を持ってけないとか。でも別にそれはどうってこともなくて、撮影はとても順調でしたね。実現するまでがちょっと大変だっただけで、撮影に入ったら、もう順調でした。

―― 八丈島の天気は不安定だと聞きましたが。

塚本 天気によっては飛行機や船の発着ができない時もあって。ロケハン、シナハン含めて、夕陽を1回も見たことなかったんですね。太陽が落ちる前にガスっちゃって。ところがシナリオ上で3回くらい夕景シーンを使っていて、どうしたものか、と思っていたんですけど、最初の実景ロケの3日間は案の定、天気が大荒れだったんですよ。それも使ってますけど。それで、撮影前日にみんなで八丈島に入る予定だったのが、前日、飛行機が着かなかったのかな。羽田の時点で「今日は飛ばない」ってなって、ほとんどの人が当日入りになったりとか、そういうことはありました。そんなこんなで初日は天候が荒れていたんですけど、その次の日から信じられないくらい天気がよくなって、夕陽も撮れちゃって。八丈島はフリージアで有名なんですけど、それも撮りたかったんですけど、僕らが行ってる時期はまだ咲いてないという話だったんですけど、行ったらフリージアが咲いてて。信じられないくらい順調でした。

―― どういう人にこの映画を見てもらいたいですか?

塚本 今まさにちっちゃい子のためにお弁当を作ってる人に見てもらいたいな、と思って映画を作ったんですね。小さなお子さんと一緒に見に行く映画となると、おそらくお子さん優先の映画を見に行くことになると思うんです。もちろんそういう映画にも、大人が見て楽しめる、感動する映画はいっぱいあるんですけど、日本で実写の作品で、となると中々ないのかな、と思うんです。日本映画の実写で、お子さんと一緒に来れて、お子さんが全部は理解できないにしても最後まで飽きずに見てられて、親がとても満足している、そんな映画ができたら良いなと思って、作ったりました。そういう方に見てもらえたら嬉しいな、と思いますけど。でも別にお子さんがいなくても、どんな人が見ても、楽しめる要素がたくさんあると思うので、いろんな人が見て、笑って、どこかグッとくると思います。僕は最初これを自分の子どもを思い浮かべて作りましたけど、撮影が終わってから、考えてみると、自分の親のことをすごく考えてやってたな、と思ったんです。なので、自分ももうちょっと自分の親に話をすればよかったな、というふうにも思ったりして。そんな気持ちになっていただければな、と思います。


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Ⓒ2019「今日も嫌がらせ弁当」製作委員会

映画『今日も嫌がらせ弁当』
6月28日(金)全国公開
出演:篠原涼子 芳根京子 松井玲奈 佐藤寛太 / 佐藤隆太
監督・脚本:塚本連平 
原作:「今日も嫌がらせ弁当」ttkk(Kaori)(三才ブックス刊)
主題歌:フレンズ「楽しもう」(ソニー・ミュージックレーベルズ)
製作:2019「今日も嫌がらせ弁当」製作委員会
制作プロダクション:日活 ジャンゴフィルム
配給:ショウゲート
公式HP:iyaben-movie.com

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